5秒――快晴空には雲ひとつない。 そして無風。 私はいつものごとく対象へと目を向ける。 千五百二十四メートル 私の目は、下一桁まで正確に距離を見切れるようになっている。 少しずつ目線を落とし、砂煙がたってないことを確認すると、私は少し安堵感を得た。 砂漠でこうも無風なのは非常に珍しい。戦場の神は、私に微笑んでいるのだろうか。 小高い砂丘の上から私はそのまま腹ばいになり、全長約百三十センチメートルの黒い物体を脇に抱えた。 金属で形成されたゴツゴツしたフォルム。頑張って見ればL字型にも見える。いや、どちらかと言えばI字型か。上部についた円筒形のモノは、まさしく「鷹の目」。 それは、兵士たちの間では「死神」と呼ばれている。 戦場において最も恐れられるものの一つ―― スナイパーライフルである。 私はいつも「狙う側」なのでわからないが、いつ、何処から飛来してくるかわからない僅か直径十二ミリの物体が、兵士たち(特に少尉以上の指揮官)の恐怖心を煽っているらしい。 今まで仕留め損ねたことはただの一度もない。 誰も彼も、血を見せることなく倒れる。なぜなら、血を出す前に倒れてしまうからだ。 それ故に、戦友からは「魔眼」と呼ばれている。どうやら戦友の間では、魔眼というのは死神すらも手なずける存在らしい。 とにかく、それは私の誇りであり、プレッシャーとなっている。 私にはこのプレッシャーが心地よい。常に退路を閉ざしてくれる。自分が追い込まれていると感じることで、いつも成功を収められているのだとすら思う。 今その千五百二十四m先にいるのは、この戦域の指揮官。名も知らぬ少尉。 そして、スコープ越しにその姿を捉える。 いくら戦場とは言え、銃声がいつにも増して五月蝿い。 中には戦車の咆哮も混じっている。 兵士のうちの何人かは、この音にトラウマを負い、ノイローゼになるらしい。が、私は銃声は恐怖心など抱いたことはない。 淡々とスコープの倍率ダイヤルを回し、続いてピントを合わせる。 ――レティクル、センターサークル、イン。 やがて、対象の目と鼻と口がはっきり見えるようになった。 見開かれた切れの長い目。折りたくなるような高い鼻。裂けているかと思うような口。 ……また覚えたくも無い物を覚えてしまった。 アサルトライフルを右手に、ヘルメットもかぶらず葉巻をくわえながら何かを叫んでいる。 葉巻くわえながら戦闘なんて、ずいぶんと余裕なもんだな。英雄気取りか? いずれにしろ、バカには変わりないだろう。 と、カキンとセーフティーを外す。 ――さて、あと何文字しゃべれるかな? 私は心の中でほくそ笑んだ。 血がざわついている。 段々と銃声の音が聞こえなくなってきた。 吸い込まれるように、意識が彼へと集中していく。 今、私の世界はこのスコープの中だけ。このスコープの外がどうなってるかなど興味はない。この世界から、出て行くとき、スコープの中には誰もいないだろう。 私には、そうさせる自信があった。 だが、自分の鼓動に合わせて手が僅かに動くのがたまらなく鬱陶しい。 何人殺めても、やはりこの瞬間は鼓動が早くなる。そこに、己の未熟さを感じてしまう。一度深呼吸をし、全身へ酸素をめぐらせる。そして目をむき出すように開くと、ミントのような冷たさを感じた。 彼は、先の位置から動いていない。 「そのままな」 私は嗤いながらそうつぶやいた。 不意に、私のヘルメットを何かが掠めた。 おそらく流れ弾だろう。 スコープの世界に入った私は、そんなことに恐れを感じることはない。 自分の体が熱を持っているのがわかる。 だが、足先の感覚など既になかった。 人差し指に力が入る。 ――レティクル、X・Y。 ―― 0 極限まで引き伸ばされたかのように感じる時間の中で、私は引き金を引いた。銃身を押し付ける私を、はね退けるかのような反動を残して銃弾が飛び出した。 兵士たちが恐れるその僅か十二ミリの鉄塊は、熱された空気を引き裂きながら音の数倍の速度で飛翔する。それは誰も見ることは出来ず、神の天誅のように、彼の頭へ直撃した。彼は、血を見せることなくスコープから消える。 その引き金は、人を殺めるにはあまりにも軽すぎて。 その銃声は、人を殺めるにはあまりにも無機質すぎて。 また、私の手が紅く染まってゆく。 私は排莢(はいきょう)レバーを力強く引いた。 そのガシャリと言う音がたまらなく気持ちいい。そしてそれは、今は亡き彼への僅か零コンマ数秒の鎮魂歌のようにも聴こえるのだ。 ――5秒 それは、私が彼へ目を向けてから、スコープから彼が消えるまでの時間。 戦場は、何もなかったかのように銃声が響き続ける。 ジャンル別一覧
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